私は癌患者歴あるピアノ教師

まず始めに、私の癌経験が、ピアノレッスンに影響していない事をご理解した上で御拝読を願い申し上げますm(__)m
厳しかった治療も、今となっては、大切な人生の糧になっています🌹
写真左の娘、夏野さんを産んだ翌年、
卵巣嚢腫に…。
女子医大病院・東京医科大学病院・杉山産婦人科の三軒で診察受け、東京医科大学病院の教授が担当医に。ステロイド剤による生理を止める過酷な治療が始まった。
当時(21年前)実父が透析や肺癌で私の治療処ではなく、幼い娘は〔遠視・乱視による調節性内斜視治療〕病院で検査の連続、さかさ睫毛による治療困難であちこち小児眼科走り回り、実父の透析思わしくなく慌ただしい生活の中徐々にだるさが増した。
主治医の教授から腹腔鏡治療勧められるもチャンスはなく遂に幼稚園へ送って行けない程寝込む様になった頃には死が近づいてる事を感じ生きる辛さに諦めも😢しかし、
特別な婦人科医との出逢いが私を救った🌸
それは次回に書こう♪ヽ(´▽`)/💝
卵巣癌長期入院の退院前夜、次なる癌の告知がなされた👀❕
『《乳癌》《甲状腺癌》のどちらかになると思われます。退院したら一刻も速く民間療法して下さい』と…。😭えぇー…🆘


退院後、民間療法は始めていた~☺💊
数年後、実父が釣りへ出掛けた栃木で脳梗塞で倒れ獨協医科大学病院へ緊急搬送🏥🚑
栃木への遠距離看病通い、東京医科大学病院へ民間救急車での移動、東京医科大学病院追い出され、三軒茶屋病院へ毎日通う日々、私は15歳から母が入院し父と二人暮らしだった。母とは17才で死別😣😢
大切な父の看病は命に代えてもしたかった。
父が倒れて7か月後には私の白血球が三千しかなくなり、異変に気付いていた。
この年から甲状腺癌は始まった。
父亡きあと、甲状腺癌は転移していたけど、
私には亡き両親がついてる(*´∇`*)❤
娘を遺して死ねるものかと手術し、体内に手術では取りきれなかった、ミクロの単位であるが、核医学室で受けた検査結果の映像で、確かに多きな丸いミクロの集合体が、存在するのを見た…。
肺に転移したら肺は切り取る、ホネに転移したら骨は削ると伺っていた😓
腫瘍マーカー!実は2年前まではやや上がっており、近年で一番高かった2012年頃、橋本病の症状に困ってはいた=潜在性甲状腺能低下症=甲状腺全摘出し甲状腺ないが、甲状腺薬のチラーヂンを体が取り込めなくなって来ていた==加齢💨💦
年取るって寂しいね笑🌠
現在は、チラーヂンの数を、女子医大病院の若き優秀なボジティブで話しやすい主治医が、私に一任してくれたので体と相談しながら飲んでいる(o≧▽゜)✌
チラーヂンの量が私の判断でまあまあ合っている血液検査結果もでた‼すごーい😆⤴
過日腫瘍マーカー検査結果低かった(≧▽≦)
低い数値が続いてる👍💕
よし!この調子で頑張って生きていこう🎵
🌸🌸🌸元気ですっ(〃^ー^〃)🌸🌸🌸
~❤春には58歳になりまぁす❤~

癌を治療している子供達等のボランティア、病院ボランティアは以前から考えていた。
今年はもっと真剣に取り組めたら✨
私だから解ることもきっとある💗
写真のジャスミン茶美味しかった❤(*^O^*)

🎹伏見由加🎶ピアノ教室

クラシックやポップス等3歳からシニアの方までご希望を伺い丁寧にご指導致します♪。特にシニアの方には思い立ったらピアノに触れて欲しいと願ってます♪小さなお子様へ指導は長年の経験から慣れており個性を伸ばすピアノレッスンを心がけてます♡♡♡

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